公民館講座


松本市波田公民館の生涯学習講座で講演をしました。聴講者は95人くらいいたでしょうか。「環境に優しい菜園講座」の中の「自然農法で野菜づくりしませんか」シリーズのトリ(3回目)という位置づけでした。聴講者のレベルや背景も様々なので、技術的に詳しい話はしませんでしたが、自然農法って何も特別なことじゃなく、そもそも作物を育てる畑に自然があること。だから、そこにあるものを活かし、つなげることを意識していけば、畑の自然が育ち、野菜が良く育つようになるという話でした。そして今、季節は秋なので、今育っている秋野菜や秋から育てるもの(ナバナ)、入手可能な身近な有機物(落ち葉や稲藁)をどのように使うかを説明しました。

聴講者の構成としては、まず8割くらいが家庭菜園の人。2割は半農半X的あるいは自給農な人。家庭菜園の人のうち5割くらいは「菜園講座」だから来た人で、5割は「無農薬」「有機栽培」「自然」などのキーワードで来た人という感じ。半農半X的な人はおそらく自然農法(おそらく不耕起とか無肥料とかを期待して)ってキーワードで集まったって感じました。

だいたい予想通りの聴講者の構成でした。わたわたの話は、聞いてみると特殊な話はありません。畑の中で何が起きているのかを観察し、畑の中の自然を出来るだけ客観的に認識し、その仕組みに対して、相応しい人手をかけること。相応しい人手というのは、未来(例えば収穫のころに作物の周りがどうなっているのか)から今何をしたらいいのかを考えると、自ずと分かるでしょう。自然というのは畑にあるものであり、常に育っていくもの。農法とは本来、その自然に合わせるもの。特定の農法・方法論を期待してきた人には肩すかしだったかもしれません。でもそれが自然と向き合う農のあり方だと思って、話をしました。

思うに、
従来の自然農法の説明は特定の方法を固定し、「自然」と「人工」あるいは「自然」と「科学」を対立させて描くことが多かったように思います。今でもそういう自然農法の説明をする人がいるのも事実です。耕耘=人工技術、不耕起=自然な姿。肥料=悪・人間・欲、無肥料=善・自然・無心といった図式。こうした人間不純論・文明否定論はなぜか一定の人に受けるのも事実。

しかし、こういう対立軸方式というのは、その枠組みでしかものを見れなくなるので、現実の畑で起きていること内部の関連やつながりを切ってしまいます。実際は対立などないものを対立させる。自然を語っているようで実は人間目線です。

例えば耕耘するか不耕起(不耕耘)かという対立軸も嘘。耕耘の「耕」は耕作のこと、作物栽培という意味。「耘」は「クサギる」=「草切る」と読みます。作物を作り、草刈りをすることは、自然から見れば耕耘なのです。耕耘機をかけなくても、実は畑という場そのものの維持が「耕耘」していることになるのが本質。耕耘機も草刈り鎌も単なる道具選びの話(=人間目線での区別)でしかない。自然のからみたら、畑でどんなイベントを起こすかという目的(一時的な攪乱を活かすのか、連続性を活かすのか)から道具選びをすればいいことになる。ナバナ畑からレタス畑にするには攪乱が必要だし、果菜類の畑にするなら不耕起が良いということになる。ナバナからレタスへと畑の中の自然を活かして移行するために耕起という道具を使うだけ。レタスがスムーズに育つなら、それがその地のレタス栽培における自然農法といえると思います。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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