駆け抜けた

食べることが好きなのはたぶん子どもの時からだけど、食べものは生き物であり、目の前でこれから食べようとしている生き物の、その命の物語が好きになったのは大学に入ってからだろう。まぁその大学(農学部)を選んだのも、農業好きだったわけではなく、食べもの好きだったからではあるが。

命の物語には、まずその生き物が生まれてから、わたわたに食べられるまでの間の物語が1つ。野菜ならタネまきがあるけど、根を張る土や周囲の生き物との関係を様々に結び、この生き方をしていこうと決め、周囲に働きかけながら、周囲を支え、周囲に支えられ、独自の個体生態系を築きつつ、その生活する時空間の生態系の一端を担っていくという物語。収穫され、自らはいなくなっても、その足跡は生態系の一部となって、後の命に引き継がれていく。だから土とは何かといえば、命の連鎖・終わらない物語である。

命の物語には、もう1つあって、その命がどこから来たのかという話。野菜でも家畜でも系譜がある。ハクサイは昔は蕪や青梗菜だった。蕪も青梗菜も元々は野良菜。麦畑の雑草。そこまで遡らなくても、ハクサイが日本に土着するまでに何人かの試行錯誤があり、ハクサイだけの集団でタネとりしなきゃいけないことが分かり、病気に強い系統をつくった人たちがいて、今使っているそのタネは、そういう人たちが実際に手に触れた数株の末裔。麦畑の雑草の昔から一度と耐えることなく、何かしら人間が食べるということとの関わりの中で、生態も形態も農業環境に合わせてきた命のあり方。その植物がどう生きていきたかったのか、その過去の思いや努力の結果が、今の野菜の形になっている。その形を大事にしつつ、ともに未来を見ていきたいと思う。

生きているものには全て、今、時間を共有する命同士が、空間的に横につながっていく物語と、命の連続性によって、時間に沿って縦につながっていく物語がある。1つの命は他の命とつながっているし、過去の命とも未来の命ともつながっていて、一生を終えるように見えても、縦横の命のつながりにその足跡(振動?メッセージ?エネルギー?共鳴?)は伝わり、巡り巡って、何時かまたどこかで、その振幅の連鎖が重なり合う時所で、その命は再び形になるものなのだろう。
本当は1つの命。様々に表現される4次元の波紋がそれぞれなのだ。なくなることも増えることもなく、この世界そのものでもあるのが本当の姿。

しかしこの世界上に表現されている間は、この世界のルールで活動し発展する。素粒子から原子が生じたように、生きものは生態系との関わりで自分を確立していく。その自己流は生き物に歴史があるがゆえであること。だからこそ、生き物は進化してきたし、生態系も発達してきた。



大学時代に教わったことは、何でもとにかく食べてみることと学ぶこと。食べてどうなんだ。うまいのかまずいのか。食べることは命の基本。食べて他の命を自分の命に置き換えることが命の基本。植物も元々は肉食生物。バクテリアを飲み込んでそのまま体内に飼ってしまった(葉緑体)。
で、
そうやって、わたわたも、何でも食べてみてきた。
ベジマイトもクサヤもカマンベールカルバドスも平気だった。というか最初から美味しいと思った。生きものの根本は体で理解しろと。

学ぶことは、それ以降、人生のテーマになった。わたわたにとって、生きることとは学ぶことだ。命の成り立ちを考えたら、生きていることとは、生かされることであるが、人間にとって自我とは何かと言えば、それは学ぶことだろう。学んだことのたった1つの証とは変わることであるとは、灰谷健次郎さんの本に出てくる言葉なんだけど、わたわたは学生時代、実践的理解という言葉で教わった。「知っている」とか「聞いたことがある」のは学びではなくて、「理解している」というのは、実践して初めて得られる学びのこと。自分で知識を使おうとか、人に説明しようとするときに初めて、何をどう理解しているのかが分かるのだ。育苗していた植物を萎れさせて、なぜ萎れるのかを説明しようとして初めて水ポテンシャルって植物生理学用語が理解できた。遅まきした麦が霜でダメになりそうだったときに、麦踏みで回復し、分げつも増えて、エチレン効果も実感できた。どんなことからも学べる。そうやって誰かが学んで知識を体系化し、人に伝えようとして出来てきたのが科学だ。実は科学には誰かに伝えたいという思いが隠されている。科学的に物事をみていくことというのは、既存の枠組みでしか物事を捉えないという話とは全く別物だ。本当の科学というのは、常に真意・より奧にあるより大きな枠組みを求めていく求道と言える。科学の本当の役割を果たしていくこと、常にその原点をもっていたいと思う。





今朝、わたわたの大学時代の恩師平田豊先生が亡くなられた。
24時間研究生活を地でいく元気とパワーの大学教授であられた。
思い出してみると、昼間畑仕事、夕方、府中から国立まで自転車10数台連ねてカレーを食べに行き、夜11時過ぎから勉強会。夜中2時過ぎまで学生とともに過ごし、自宅で仮眠し(笑)、朝8時過ぎには研究室に戻ってくる。見た目はフーテンの寅さん。実験室のドラフトでクサヤを焼く。夜中に外の圃場で焼き肉大会。他の研究室のコマツナを使って夜中に味噌煮込みうどんをつくる。温室で捕まえたスズメを焼いて食べてた。国有財産の木を勝手に伐採して畑を拡張し、こっちは学問で世界に貢献しているからいいんだと。
こうやって思い出すとはちゃめちゃだけど、今のわたわたにつながる原点がそこにあった。

今朝、突然、先生のことを思い出したので不思議に思ったのだが、その後に連絡があった。夕べのうちの夕飯は、Sassa鍋という研究室名物の鍋料理だった。これも偶然でもなく、そういう流れだったのだなと思う。

まだまだ活躍して欲しい方だったけど、先生の生活を思い直せば、単純に人の2倍くらい濃厚だったんじゃないかと思う。まさにこの世を駆け抜けていったのだなと思う。あのパワフルさは真似できないけど、引き継いでいく共鳴振動は分かっています。それこそ実践的に。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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