彼岸と此岸

明日は春分の日。いよいよ2014年度が始まります。国民の休日でもある春分の日の理由付けは、祝日法で『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』と説明されています。太陽とともに生活し、農業を通して自然とともに生きる生き方をしていくものにとっては1年の計を建てる日とも言えますね。3/18から彼岸入りしており、春分の日は彼岸の中日でもあります。彼岸というのは、あちらの世界という意味であり、彼岸に対して、現世のここは此岸(しがん)と言います。

彼岸はあちらなので、悟りの世界です。そこに悩みはなく、悩む必要もない曇りなき世界なのかもしれないけれど、悩みなきところに成長もないなと思うのです。そもそも悩みの根本の元の源は、一体この世界って何なのか、私って何なんだろう、存在するってどういうことだろうってところから発し、悩むことや変化していくこととはその確認を1つずつしていくことだと思うのです。

彼岸が悩みなき永遠の静寂の世界であるとしたら、世界は世界そのものであるってことを確認しない世界。私という存在のない世界だろうと思うのです。対比するものがない世界では思考する仕組みが発生しない。存在とは背景が必要だからです。全てが背景であれば存在はなく、背景もまた背景であることも分からないということになります。もし、それが彼岸であるとしたら、彼岸が最低限、彼岸であることを保証するために、此岸は存在するのかもしれません。つまり此岸のなかで悩み変化する私がいるから、彼岸をも含むこの世界全体は自らが世界であることを認識できる。見える世界だけでなく、見えない世界はそれ自体では存在できない。見える世界を支える諸法則が真に属している見えない世界があるとしても、諸法則もまた対象を必要とする存在であるから、法則自体が存在するためのもっと根本の仕組み、静寂ではなく、変化していくことを前提とするというルールに区切られたなかに諸法則の生まれる世界は包まれていることになるのでしょう。

此岸は悩み多きこの現世です。悩み続け、考え続け、変化していくしかない。その結果、1歩ずつ自分と世界とのつながりが見えていくことが此岸のある意味なのかなと思うのです。歩みは少し進んでは止まって振り返るもので、面倒だけど飛躍はないんだな。彼岸は彼岸へ行ってから眺めよう。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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