キット

今日、職場の事務室で納品書をチェックしていた事務員さんがECOLIって何だろうとか、これは試薬か備品かと調べて研究員にも聞きながら仕分けしていました。最近の実験用の試薬等の特徴として、1つ1つの薬品や器具を組み合わせて色々な実験をするっていうよりも、1つの実験に使う道具と試薬がキットになっていて、ある目的の実験について、技術習得に時間がかからず、また作業員の技術力による誤差が出来るだけ出ないように組まれているものが多いのです。そしてキットの多くは使い捨て。決して経済的ではないし、環境にも優しくないけれど、そもそも実験というのは実験をうまくやることではなく、データを得るのが目的なのだから、精度良く効率的にデータを得ることに特化したものと考えることができると思います。

話を傍で聞きながら、わたわたが学生のころは、試薬なんか1つ1つストックつくっていたし、如何にコストをかけず工夫で乗り切るかみたいなところがあったなと思いました。でも目的に向けて特化していなくて、鈍くさいやり方だったからこそ、コツや工夫を思いつくし、その方法の原理や理屈っていうのも体験的に理解できたんだよなって思います。

考えてみたら、今、こうした実験キットとか簡易検査セットとかを開発している人って、学生時代やそれぞれの修業時代に便利な道具はあまりなくて、1つ1つ丁寧に根気よく積み上げをやってきて、原理や本質を理解してきたからこそ開発できる発想が生まれるのだと思います。これは料理でも、大工仕事でも、もの書きでも、サービス業でも、どんな分野でもあることだなと思えます。そしてもちろんこれは農業にも通じる話だなと思いました。

経営目標や成果を具体化して、それに向けて効率良くやるっていうと、人を使ってやる場合は自分自身の持ち分も含めてマネジメントして・・・と早い段階から自分が関わる作業の取捨選択をやり出すことになるし、品目や技術の選択も目標を見据えて無駄をしないようにっ、と。

思うのは、そこであまり研ぎ澄ました効率を求めてしまうのは、言わばキットを使うようなもので、やり方や手順をある程度修得すれば、あとはそれを使うだけ、使って出る結果にしか関心が向かなくなりやすいように思います。おそらくは、どんな単純作業にだって、1つ1つ奥行きがあり、どれだけ経験を積んでも毎年1年生みたいなところがあるのが農業。そんな効率悪いやり方やるの?とか、一見そこまで農園主がやるのってどうなのよ?っていうことでも、そういう農業としてみたときの全体性を実践的に理解していくのは重要な気がするのです。全体が見渡せるからこそ、どこにいつどのように特化するのかが的確に判断できるのでしょう。どうしたら全体が分かるかと言えば、鈍くさいことを地味にやるからこそ確実に積み上がるように思います。ある意味馬鹿にならないと賢くなれないと思うのです。

全体性は自給性ともいえるでしょう。野菜専業でも、お金にはならないけど、自分で食べる分+アルファくらいの田んぼは続けるとか、自分の家で使う味噌はダイズから手づくりするとか、もともと農業っていうのは、その地域の自然のなかで、その作物の特性を発揮させることで生産性を高めるのが本道なのだから、どこまで行っても完全な制御はできず、自然や作物に合わせられる調整能力が問われるわけです。例えば、施設栽培トマトに特化する!だから余計な作物はつくらないし、生活に必要なものは買えば良いって考えたとして、その人は本当にトマトのプロになれるのだろうかと。何をプロと呼ぶのかと。トマトは園芸作物だけど、それには普通作物との違いを知らないとダメだし、ナス科とウリ科の違いも知らなきゃダメだし、露地と施設の違い・・・と1つのことを究めようと思っても、結局は特化するために必要な自身の位置づけを知る必要が出てくるのです。地域農業のことや市場動向を知らなければ、自分のやりたい方向に確信を持つことも覚束なくなるでしょう。そもそも農業は全体性・自給性があるものであり、そのなかでこそ特化は可能で、特化するためにも自給部分を捨てられないのではないかと思うのです。

スマート農業ってITからの農業進出(実際は植物工場経営)が流行りだしているけれど、その植物工場のマニュアルは誰が作っているのかといえば、農業の全体性を知っている世代の技術者・研究者や彼らの育てたエンジニアでしょう。IT農業者がマニュアルそのものをつくっていくのかと言えば、マニュアルを使って成果を出すことやコスト削減に関心はあっても、作物や自然の働きの原理や本質について深めること、そこからマニュアルを組み立てられる人間を育てるっていう意識はないだろうと思うのです。だってすぐに目に見える成果の出る話ではないし。じゃぁ、スマート農業プラントを販売する企業ののエンジニアたちはさらに次のエンジニアを育てられるのだろうか?っていうと、もはや元々その作物が何であったのか、土耕栽培を全く知らないエンジニアは特化しすぎているから、そもそもから発想し、人を教育するのは容易ではないだろうと思います。

世の中全体がこういう袋小路に入って行ってしまってるから、異業種交流が盛んになっているのでしょう。
それぞれの分野・業種自体で、全体性・自給性を保てないから、失われた全体性を求めて、異業種の発想や作法を知り、自分たちの位置づけや方向性を知りたいという想念が感じられるのです。

農業における自給性というのは、地域との人のつながりも含むものです。地域には農家だけでなく、色々な人があるし、農家でも色々な作物を色々な業態でつくっているのだから、地域に関心を持って溶け込んでいたら、本来は自らの位置は自ずと分かるようなものだけど、地域においても、自給的に行われてきた行事や共同作業は少なくなり、無関心と特殊化が進行していると思われます。地域社会がコミュニティ的でなくなっている。だからこそ、人はコミュニケーションを求めて、ネットやSNSに入っていくのだし、エコビレッジやシェアハウスの試みに関心が集まるのも、コミュニケーションそのものを目的にせざるを得ないからであり、自給的で、一見非効率なところにこそ特殊化・細分化を求められる社会に必要な「つながり直し」や「組み立て直し」の力・作用があるからなのでしょう。

宇宙の発展法則から言えば、もともと1つであったものが多様化していく性質があるのと同時に、その多様化した1つ1つが組み合わさってより機能的で高度な機能体として振る舞うこと(定まった働き、定質)があったのだと思われるけれど、人間社会では、多様化というより個別化や他人化が進み、その関係・働きがバラバラになっていく(反定質)が起きている時代と言えます。一方で人と人とがつながり直し、価値観を共有することの大切さが認識され始めており、これは一見多様化という宇宙の性質に反する(反性質)にも見えるけれど、実際は多様な人間関係が形成され、学び合って定質を取り戻していくための動きと捉えられると思うのです。

農業が持っている自然の在りように学ばざるを得ないという本質にしたがえば、農業の自給的側面に必ず軸足をおきつつ、周囲とつながることで自らの位置づけを知って個性化を図ることが正道と言えるし、そういう農は人間社会の在りようをつながり機能的にする方向(定質)へ誘う働きを持つと思います。

キットの話から農業の持つ自給性の話、そしてヌーソロジーの基本概念っと頭のなかで龍のうねりのように情報がつながったのでした。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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