江戸末期の話

今日もわたわた実家でした。今日はわたわたPC仕事をしながらのんびり過ごしてました。子どもたちやNami-♪さん、弟家族たちはみんなで買い物に出かけたので、わたわたは留守番をしてました。わたわたじいちゃんは八十代(大正14年生まれ)ですが、まだまだ元気です。じいちゃんは庭木のゆずの収穫などしてましたが、昼過ぎにじいちゃんのお姉さんが訪ねてきて、居間で昔の話をし始めました。じいちゃんが子どものころに周囲の人から聞いた昔の話ということで、明治22年に戸籍法が出来たときの経緯やら、その頃の村の権力者が誰であって、それ以前の名主はどこの家だとかいう話でした。かるく江戸時代の話なのでした。

わたわたの姓名「石綿」っていうのは、明治以降にできた姓なので、江戸時代にはなかったものの、家としては本家があります。しかし本家とは別に「ホンタク」と呼ばれている家があり、その関係はなぞでした。わたわた実家は分家なのですが、本家はなぜか「オモテ」と呼ばれていました。今日の話で分かったのは、本家もどうも他から来た家が名主様から養子をもらって家を継いでもらい、のちに石綿姓ももらったらしい。当時、名主様には良くできた3兄弟がいて、3兄弟のうちの2人が2つの家に養子に行き、もう1人も別の家を継いだという話だった。名主さんの家が、ホンタクで、本宅の前手に新しく家を建てたので、オモテの家になったのだという。

オモテの家ができた頃には名主さんの家が落ちぶれてしまい、養子にいった子がたてたオモテの家が力をもつようになったらしい。そしてその人はできた人で、戸籍法ができたときに、後々のためにということでまだ人が住んでいなかった山林の中にあった掘っ立て小屋を家屋として登記したりと機転が利いたらしい。そして後々、困ったことに後取りが生まれる前に奥さんが先立ってしまい、親戚から養子をもらってオモテの家を継がせることになった。

しかし自分がオモテの家に残っていたのでは、その養子さんがやりにくいだろうから、自らは隠居することにして、かつて登記しておいた掘っ立て小屋のある山林に新しく家を建てて移り住んだ。そしてその時に後妻をもらった。その後妻との間に生まれた子どもが、じいちゃんの父親だという話だった。

すごい話だった。わたわた子どもの頃に、幼なじみの何人かは皆遠い親戚なんだと聞いたことがあったが、そういうことだったのかとようやく分かった。今の時代も新しい家族のあり方が試行され始めていて、面白くなってきたなと思うが、結構昔も面白いな。今、イメージされる家族像っていうのもここ最近の姿なのかもしれないね。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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