料理の理

昨晩からまたまたトマトピューレづくり。前回の倍以上の量がある。前回つくってみて、トマトピューレづくりのコツと道理が分かった。まず湯むきしたトマトをナベにかけるが、このときに少々の塩をふっておき、極少々の水を鍋底に入れておき、必ず蓋をする。水は焦げ付かせないため、そして水蒸気が鍋のなかを一気に高温にしてくれて、トマトになるべく均等に熱が加わり、トマトから水分が出てくる。塩は水分が出てくるのを加速させる。そのうちにトマト自身から出てきた水分でグツグツとし始める。
トマトピューレづくり1
果実のペクチンは熱によって溶けるので、果実全体が形崩れする前に細胞壁部分の組織液やタネ周囲のゼリー状組織が水溶化して出てくるのだ。このときに温度斑があると、鍋底のトマトは果肉が崩れてしまい、上の方のトマトはまだ硬いままといったことになる。それだと崩れた果肉が水溶化して出てきた水分で薄まってしまい、煮詰めるのに時間がかかることになる。一気に均一に温度を上げるのが第一のポイント。

トマト自体から出てきた水分でトマトが煮え始めたら、果肉が崩れる前に一旦トマトをボールに取り出す。そしてしばらく待つと、どんどん水分だけが抜けていくので、その水分だけを別鍋に集める。
トマトピューレづくり2 トマトピューレづくり3
これで果肉を薄めてしまう水分と果肉の分離に成功。

その後、果肉だけを鍋に戻して、煮込んでいく。ペクチンが抜けているので、果肉は柔らかく、さっと濃いペースト状になっていく。あとは好みのところまで少々煮詰める。丸ごと煮るだけに比べると水分を飛ばす時間が短くて済むことになる。
トマトピューレづくり4
分離した水分の方もトマトの旨味がたっぷりなので、これで野菜スープをつくったり、味噌汁を煮る水として使うと贅沢な旨味たっぷりの汁料理が味わえることになる。


料理の「料」は、米を斗ること、すなわち、見当をつける、推し量るという意味で、理は「ことわり」・道理だ。
料理というのは、その素材が何であるのかを素材自身の性状や特徴から推し量り、理に適った使いかた、活かし方をするという意味である。

ペクチンが熱で溶けるというのは既存の知識情報ではあるが、鍋で崩れかけているトマトを観て、これは何かあるなと察することの方が知識よりも大事なことだと思う。

トマトを加熱していって一定の加熱時間を過ぎると一気に果肉が崩れるのだが、果肉が崩れる直前にトマト自身の水分で自らが煮え始めるという僅かな時間があることに気がつくと、上記のように初期の加熱具合を調節することで上手に水分を抜く方法があることを思いつくことができる。それがペクチンの性質によるものだという解説は後付けでいい。

そうやってちょっとした観察から手順を見直すだけで、同じトマト原料から、トマトスープとトマトピューレを取り出すことができるのだ。

料理はマニュアルをこなすような工作ではないし、食欲を満たすための味つけを重ねるものでもない。

それは食材を前にして、道理を見出していく修行のようなもの。調味料そのものも、その使い方1つとっても、それぞれ奥行きをもち、それらが出会うことで新しい創造が起きていくのである。
料理を通して、素材が何であるのかを理解していく。素材を生かしていくことが本当の美味しさ、豊かさになっていく。それはそこに関わる人間の心を創造的にしていくものであり、素材に聴く心、そのものが何であるのかを洞察する心、物事と向き合う心に謙虚さや真剣さを育てるものなのだと思う。

それは農業にも、生活にも、人と人とのコミュニケーションにも通じるものだと思う。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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