農のこころ

麦刈りの跡地をみて気づいた。この風景は不自然だ。
麦刈り跡地
麦刈りに限らず、野菜もそうだし、稲刈りは尚更のこと。

収穫は、田畑で作物を栽培する最後の仕事。最も重要で、心して行わねば、それまでの作業が台無しになってしまう。

ならば、収穫に入るまえに、畝刈りはもちろんだが、麦周囲の雑草は刈り取ってから作業するのが当然だろう。
麦刈り後に、畑の端に雑草だけが立っている様というのは、雑草を気にすることなく、麦刈りだけをしたことを意味している。これは畑に関わる作法として正しくない。作業上は良くても、心が間違っている。

キャベツでもわたわたは収穫前には畑の草刈り、とくに周辺の草刈りをやってから収穫に臨んできた。当たり前のこととしてやってきたが、その意味するところ、その心を同僚や研修生にしっかり伝えてこなかったなと気づいた。

雑草はじゃまなもは取ったのだろうが、バインダーが通る動線上にないものはしっかり残っている。
気にもとめないことだったのだろう。

耕耘のタイミングとか、管理作業の順番などのちょっとした配慮、工夫、細やかな観察や気づく目線が自然農法の真髄とも言える。特別な技術ではなく、この作業をこのタイミングでこの位置にこの順番でここに注意して行うからこそ効果が出るというものなのだ。1つでも外れるとやってみたけど効果が現れないなという話。方法が農法なのではなく、自然の方に合わせる目線が大事なのだ。自然の方、しぜんのほう、自然の法、自然農法。

それは「そこの生態系の一環をなす自然としてある」ものとする。
畝が真っ直ぐとか作物が一直線にならんでいる天然の環境はないけれど、真っ直ぐな畝や一斉に一列に苗が並ぶ自然を創り、それを当たり前の営みとしてそこの生態系が動いている状態をつくることなのだ。農的な一挙一動がそこの生態系を構成している、それが農の本来の在り方。

農とは、曲を辰(ただす)こと。田畑に秩序をもたらし、ただし続けることが自然である農をつくるのである。

研修生に本当に学んで欲しいのはここでやっている個別の技術じゃない。それは手段であって、本質はその技術がどこから生まれたか、どこに注目しているのか、その発想の根本は何かということ。個別技術の応用範囲は狭いが、視点や姿勢の応用範囲は無限大だから、作業を通し、手順を伝えつつも、本当に伝えるべきは、その心だったなと。


そんな気づきを、普段一緒に作業している同僚cさんにシェアしました。
どうしても作業優先、終わらすということを至上命題にしがちだけど、確かにそうですね。
研修生にも伝えてみますということでした。

コメント

これはかなり重要なことだと思うんです。特に一つの畑をいくつかに区切って使っている場合は。ちゃんと草まで含めて管理していないと翌年の作に必ず影響します。
2013/07/11(木) 18:07:24 |URL|ばかぼんのパパ #- [編集]

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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