倒伏


台風の大雨でライムギが倒れた。キャベツ跡地のライムギだけど倒れたのは昨年秋に比較試験のために化学肥料を使った場所。秋のキャベツ終了時点でECは低下していても、後作のライムギを過剰に生育させてしまうということは、何らかの形で残っているということ。ライムギの作付に当たっては当然無施肥。一度入れてしまったものは抜けない。ECではどんだけ翌春に影響するかは分からない。一時的な有機化があるのだろうから、例え硝酸態窒素の実測をしても無駄だろう。春の施肥を減らしてコントロールも何も春に施肥なんかしていない。施肥を前提にした技術というのは、地力とか有機化と無機化の同時進行といった概念が欠けていると思う。不合理な技術だなってつくづく思った。

化学肥料を合理的な技術と考えるむきは、化学肥料に対して賛成/反対双方の立場からある。反対する人は人間の合理的な考え方そのものを批判する人もいる。どちらも違うだろう。そもそも合理的でない。部分的に特定の成分を足すことはできても引くことはできない。入れてしまったあとは土壌生態系のなすがまま、人間はそれを制御できないんだから。

土を使う限り、どんな栽培様式であっても作物は基本的に土壌生態系で育つのであって、施肥は補助なのだ。制御しようとするのではなく、経験や観察、勘、閃き、伝承、化学的データ全てを駆使して、推察し、栽培管理の全ての要素を組み合わせて、土の生態系に合わせるのである。施肥で制御するという発想は間違いであり、施肥という補助手段を否定するのも偏っている。

施肥の本質は肥料そのものを効かさないこと。作物と周辺生態系との物質の流れ・生物活性を高めること。結果として作物が旺盛な生育をするように使うこと。これは成分を余らさないことでもある。

施肥を肥料を施すことと定義するなら、草や藁やカヤを敷いたりすることは施肥ではないと言うこともできる。しかし施肥の本質から言うなら、作物と周辺生態系とのパイプを太くすることや生物活性を高めることを通して、有効に作物が元気になるのであるから、化学肥料なのか、草なのかというのは手段や経路の違いでしかない。施肥の本質から言ったら、化学肥料の成分を直接作物に吸わせるというのは、作物の緊急避難的な養分補給法として以外にはあまり合理的な側面がないだろう。化学肥料も土壌を介して結果として効いた方が良いのだ。土壌を介さないで効かせることだけを追求していったら、生産基盤の土が壊れる。土を壊す使い方は不合理の極みであって、この場合、不合理な使い方を続け、土壌環境の維持をしてこなかったことが問題の本質であって、化学肥料が悪いわけではない。悪い点といえば、土が壊れていく途中においても、とりあえず作物が育ってしまうことくらいだ。

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