闇を観るとは

昨日、雪のちらつく空を見ていたら、1つ宿題が降ってきました。

「人が闇を見つめることが出来るのはどうしてだと思うか?」

とのことです。

問いかけですが、同時に答えも出てきました。
実際には言葉になる前の想念の小包なのですが、紐解く過程で問いかけから出てきたので、
問いと答えという順番に認識されるのです。


人は自らの心に現れる闇を、それが汚れ(穢れ)であると判断できる。
穢れのままに欲に溺れて生きる者もあるが、本当は誰もが心のなかで判断できる。

我欲を客観的にも眺めることの出来る仕組みが心の本質なのだ。
欲のなかに我が入ってしまうと自分を見失う。心を亡くした亡者となる。
欲とは足りなさに負けるこころ。不足感に捕らわれて、一時の安らぎを求め続け、
そのなかから出ようとしないことである。

しかるに、欲を欲と認識する働きが、本当の我(われ)であり、心のもとのもと(魂)なのである。
そこに欲がある。魔があり、鬼がいる(云る)と認識する働きこそが、魂なのである。

逆に言えば、

欲とは、心を自己認識させるための機能(絡繰り)であり、
本来切れ目のないこの世界に、自己を区切って浮かび上がらせる働きのことだ。

だから、欲は三次元世界に心を存在させる仕組み、機能であって、
心の本体は、その欲を認識してる者。それが心、私の本体。

心の闇は自ら裁ける。客観的に見つめられるものだから。
そのために存在している絡繰りだから。
心の本質は闇を見つめる側にあるものだから。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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