かたちを超えて

この世界の微細な構造と共振・共鳴するものしか三次元世界にかたちを持って実在できない、ありとあらゆる可能性はあって、素粒子の超ひもの定常波からアミノ酸を指定するDNAコドンが3つで1セットになるまで、さらに生態系の生物網における相互作用からそれぞれの種が進化することとか、果ては宇宙の大規模構造まで、見えない世界にも見える世界にもあらゆる試行錯誤は存在する。そしてミクロな共鳴がさらに大きな枠組みとして共鳴できる条件、在りようを探している。いくつかの微生物が合体して真核生物が誕生し、真核生物であるがゆえに多細胞構造や雄雌の分化が起こるという具合に、前段階の在りようを前提として次の体制は生まれてくるが、その都度、より高度な調和がなければ、その存在は維持できないようになっている。あらゆる試行錯誤はその揺るぎなさが生まれるための同調の過程だろう。またその調和的な共鳴は固定したものではなく、常に振動しており、ゆらぎがあるかたちである。
地球生態系のほとんどの存在がこの共鳴の輪、つまりは地球の意志を無視して存在できない。共鳴の輪を感得して型に起こしたものが、経文や祝詞、祈りの型や神事の所作であるのだろう。

しかるに、人の自由意志は怒りや恨みを持ち、破壊や残忍さ、悲しみや恐怖に飲まれることもできる。それはある意味この世界の法則を無視しても存在できてしまうことのように思える。このように思考し、思考のなかでは世界の構造と自分を切り離して対象化できるというのは非常にユニークである。映画の登場人物はそのなかにいる限りそこが現実の全てで在って、それを見ている立場というのを考えない。しかるに人は映画を制作できるということは、思考の中では、この世界を眺めている立場になれるということである。共振共鳴のかたちの世界において、そのルールのおかげでこの世界に存在しているはずなのに、そのルールを自己認識し、無視さえできる存在としての人間。

かたちには力があり、それはこの世界の構造、仕組みのこと。それを認識できるというのは仕組みを理解できるということ。仕組みゆえに自らがあるとすれば、仕組みと一体であるならば、仕組みそのものであるならば、仕組みに働きかけができるということ。仕組みそのものを担っているということ。高次に共鳴して存在しているということは、低次の共鳴段階を統べて存在しているということ。高次共鳴体が調和するということは、より高次な共鳴体が存在することになるということ。

今、世界に生まれているつながりのうねり。脈々と続く試行錯誤であり、1段階上の共鳴体の模索。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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