心配いらない

心の本体は魂だけど、身体は地球の一部だから地球生物として、生物界のルールに従った縁をもらう。生物界の縁の物理的な存在基盤をなすのが遺伝子。だから縁があるから生まれてくるとも言えるが、人間は縁(遺伝子)をつなぐために生まれてくるわけではない。魂の学びのためにその縁のもとに降りて、結果として遺伝子をつなぐだけ。ここは勘違いしてはいけない。血筋とか家系といったものは、魂の依り代である肉体の特徴について言えることであるが、その肉体を、どの魂が選ぶのかは、魂自身が決めていることなのだ。つまり前世や来世があるとしても、今自分が属している家の家系に生まれるわけではないのだ。そこは自由であるとも言えるし、その家系でこそ学びのポイントがあるから、そこを選んでいるわけで、縁深いとも言える。

両親も魂の学びをしている。その両親や親戚やご近所や地域や国柄や時代時代の条件が重なるところに、その魂が役割を見出し、そこで人生をおくることで成長し、親子や周囲とのご縁で働き合い・学び合いをしていくことを意図して、その家系に、その日に、設定にしたがって自らつけた名前を持って生まれるのだ。命名とは命の名前であり、今世をどのように過ごすかの約束のようなもの。親や周囲の人が本人が発したメッセージを受け取って、さも思いついたように名前を付けてくれる。

だから、何々家を守るっていうのは、魂の学び上のプログラムみたいなものであって、子孫繁栄が人の本来の在り方ではない。地球生態系や生物多様性の富化は地球の意志だから、人も肉体を持つ以上は生物としてその一翼を担い、子どもがかわいいと思うのは間違いない。しかし、その根源は地球愛なのであって、自分や自分に近しい人、地域の人、自国民が幸せになるために競い合うのが当然だ、人間の本性だというのは間違い。地球愛の表現を身近なものに区切ってしまうから自分だけ、自分の近くだけをかわいがる。でもそれは魂が人に降りている目的じゃないし、地球の望みは特定の誰かでなく、全部地球の子どもとしてかわいいということだ。

自分の祖先がどんな家系であるとか、気にしなくていい。魂に戻れば、この家に生まれた意味も、その後の人生でつくってきた様々な縁も、どういう学びをするためであったかのタネ明かしがあるのだ。楽しみに待っていればいい。心配いらない。

また自分の子どもがいるとして、その子がどう育つとかに家の後継ぎ云々を言う必要はない。その家系の遺伝子が途絶えても、多様な地球生態系の試行錯誤の1つであって、地球的には困らない。その遺伝子の継続が、その魂が今世に降りる目的の1つに入っている場合というのは、その家系の継続が、次の魂の学びのために必要だからである。そういう家には相応しい魂が降りるし、家が断絶するときも、それに相応しい魂が降りるとも言える。どちらが良いということはないのだ。どちらも宇宙の仕組み、地球の活動の一環なのだ。心配いらない。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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