本当に大切なもの

とある会合のグループ討議での議事録の確認が回ってきた。そのグループでは、情報共有についての話題にすべしという命題が与えられていたのだけど、その話題自体はあまり盛り上がらなかった。なぜなら、情報共有のテクニック(IT活用)やシステムの整備を話し合ったり、どんな情報を共有すればどんなことが出来るかっていう以前に、今現状で情報共有がなされていないということは、その心がないから、共有する意識がないからという答えが見えていたので、どちらかというと心の在りようのことを語り合った。しかし、心の話は報告には上がらず、議事録にもほとんど記載されていなかった。結果、たいした報告にならなかったので、企画者の1人からは報告者やグループリーダーは全く期待外れだと怒られた。わたわたはそのどちらでもなかったが、企画者の意図も分かっていたので、建設的な話を膨らませなかったことは素直に謝った。また企画者が怒ったおかげで、意図があってグループ分けされていたことや会合参加者それぞれがどういう意識で、この会合に臨むべきかが漸く共有されたと思い、怒られて良かったし、怒ってもらって良かったと発言した。目覚めることが目的であるなら、荒療治しなければならないこともある。そこそこ建設的な話を出してお茶を濁していたら、怒られもしないが、場が締まることもなかっただろう。企画者の意図は言わば人智であり、相応しい配役で怒り怒られて全体が締まり、何かが共有されることは天智であろう。わたわたはその企画者が怒り出した時点で、これは天智で図られていたことと理解して、思わずにやにやしてしまったが、一応神妙な顔の演技をすることにした。

しかしこの天智の計らいは全体の議事録には載らないだろうし、会合後に怒った人や怒られた報告内容を低レベルとぐちぐち言っている人も少々いたようだった。そういう人のいたグループは農業を取り巻く社会問題について、議論し、立派な議事録をつくっていた。能力が高くて素晴らしいと思う。今の世の中では、こういうものが、しっかり形に残る成果ということになるのだろう。

さて、今日来た確認をしなければならないグループ討議の議事録は、簡単なメモ書きだった。そのメモでは、グループメンバーでも行間を読まないとどんな話し合いがあったかも分からないだろう。そこで、メモの行間にある想念をできる限り文章で表現して作り直してみた。加筆修正というより、ほとんど作文した。当然、議事録とは呼べないのだが、話し合いのなかで、グループ内で共有されていた想念は、価値のないものではない。まして情報共有というには、根幹となる自分と他人との関わりをどのように見るのかが基本になくてはならない。システムや制度を整備しても、使う人間の心が入っていなければ、情報は使われることはないのだ。心の姿勢を育むには、日常で1つでも他人を思いやるを実践していくしかないのである。その認識が皆のものになれば、そのための仕掛けは作ることもできるだろう。そのことが話し合いのなかで見え、共感したことなのだ。出来た作文は議事録ではないが、想念は同じものである。同じ想念であるならば、表現はその都度違っても良いだろう。

本当に伝わるべきは形ではなく、形や表現の奥にある想念だろう。本当に大事なことは、何かの企画や行動などの物理的なことそのものなのか。その活動を通して、人の心に何をもたらすのかではないのか。想念だけを伝えることは出来ないから、表現は鍛えていく必要がある。しかし本当に大切なことが語られ、魂が表現に入っていなければ、どんな素晴らしい表現をしても、人を動かすことにはつながらない。表現の未熟さのとらわれて大事を見逃すことにならないように常に気をつけたいものである。本当に大切なもののは目に見えないところにある。

コメント

コメントフォーム

  • URL:
  • 本文:
  • password:
  • 非公開コメント:
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

わたむすび

最新記事

プロフィール

わたわた

Author:わたわた

わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示

カテゴリ

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。