問題事

「我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」
「いかなる問題もそれを生み出した同じ意識や思考方式によって解決することは出来ない」
 アルバートアインシュタイン

子どもたちが玩具の取り合いで兄弟げんかしているとする。子どもそれぞれの立場から取り合いの正当性を主張しても、当然ながら解決しない。

それを見ている大人の行動が、「喧嘩をやめなさい!」っていう程度のものだったとしたら、喧嘩がうるさいからやめさせるという理由だったとしたら、それは子どもにとっても納得はいかなし、片方の子どもが力づくで玩具を奪うのと、力づくで子どもを黙らせるのも、一緒ってことになる。一時は静かになっても別の問題が起きるだろう。そして大人の行動が子どもを成長させることにもならない。

喧嘩になるのは、譲り合う心がないからだからだけど、譲り合いなさいと言っても効果はないだろう。子どもから視たら、大人も自分の主張をしているようにしか映らないだろうから。

同じレベルでは問題解決にはならないのだ。

そもそも、問題解決って何だろう?
例えば戦争になって、どちらか一方の主張が実現したら、それは解決とは言えないだろう。
戦争は新たな問題、憎しみや悲しみを生むだけだ。「悲しいけど、これ戦争なのよね」っていうのはダメ。

問題事っていうのは、実はその問題を包むより大きな世界があることを示しているのではないだろうか。
その世界観にたつと、問題事というのはその部分を全体と捉えて解決の道がないと思い込んでいるに過ぎないことなのだろう。

子どもの玩具の取り合いは、子どもに1つのものを取り合うことの無益さを理解させることができたら解決するのだが、それを小さな子どもに諭して導けるかと言えば、まぁそれが理解できるようなら最初から喧嘩にならないわけで無理だろう。もう1つ上のレベルで理解するっていうのなら、そうやって奪い合いや自己主張することは、自分と他人との距離を測れるようになるプロセスと捉え、この場合は喧嘩結構、大いにやりなさいと。だけど、少しでも話が聴ける年齢になっていたら、仲良く遊ぶ方が楽しく豊かであることを伝える。そんな子どもに合わせる気構えでいたら、別に問題でも何でもないってことになる。

どこかの島をめぐって、領有がどうの言い合っている二国があるとして、力尽くだと戦争の火種になるし、歴史を紐解いて道理を説いたところで、相手が認めないなら一方的な主張になってしまう。一つ上のレベルで考えるって言ったら、そもそも領土ってなんなのかをお互いに考える機会にすることなのだろう。地球は1つなのに、それを勝手に分割してここまで俺のものだと主張しているってこと。どちらも地球人なのに相手になめられたらあかんと喧嘩腰になっているのは子どもの喧嘩レベルだってこと。1つしかない地球。どこにあろうと地球の資源。国に分かれて住んでいるのは役割分担みたいなもので、どこにあろうと勝手に利用できないのが本来のあり方であって、領土内の資源が勝手に使えるっていうことの方がむしろ前近代的なのだろう。地球上の全ての資源はどこにあろうと地球人全体に諮って使うっていうルールをつくったら、小さな島に魅力あるのかな。
前提となる枠組みを絶対と考えないで、その枠を作り出している一つ外側の世界から眺めるってことが問題を問題でなくすること、人間として人類として成長するってことになるのだと思う。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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