もりのいえ

4月29日、もりのいえに行ってきました。春から夏への移ろいの感じられる暖かな陽気でした。
もりのいえ120428-3
もりのいえでは、わたわたトークライブ&畑観察ワークをしてきました。
もりのいえ120428-1
「好きに話していいよ」っていう提案だったので、何話そうかなって思い、「自然」の見方や「栽培」の捉え方について、作物の根や土の観察や研究から見えてくるものをスライドで説明しました。畑観察ワークは、もりのいえの自然農方式の畑へ出て、あまり生育の良くないコマツナやシュンギクがどうしてこうなっているのかを紐解きながら、根が伸びるための条件、有機物の腐熟、秋から春までの草の根の働き、土壌動物の働きなどについて話していきました。夜にはチームちきゅうれきのタカくんも合流し、遅くまで語らいがありました。充実の1日でした。


久々に自然農の畑をじっくりと見ての感想。
かつてわたわたも不耕起や草生栽培にかなり拘っていたことがあり、自然農式も参考にしていたことがありました。自然農式の畝立て方法や作付け前の準備は理に適った部分も多くあるのですが、時期や立地条件、作物の好みなどを無視して方法だけを真似ると失敗することも多いのです。耕すことや除草は必要悪っていう考えでいた頃は、うまく育たない理由に深く考えが及びませんでした。例えばメヒシバは生えるほど良いって思い込んでいて、うまく刈り込むことが技術だったのだけど、育土が進むとそもそもメヒシバが生えなくなるとか、生えても大きくならない現実を目の当たりにすると、手段であるはずの草を生やすことを目的にしてしまっていた考え方の偏りに気づいたのでした。
今は、作物がうまく伸びなかったり、害虫や雑草が出たりすることは、そのやり方が自然の理に適っていないことを示していると考えます。不耕起や無施肥であれば、自然であるという短絡的な考えからはその環境条件に則した技術は生まれないと思うのです。その地・その時・その作物に合った栽培技術というのは、拘りのない農の実践、現場に則して生産性や品質を高めていこうという試行錯誤のなかから、耕す意味、草を取ったり刈ったりする意味、施肥とは何なのかを理解していくことから自然に出来上がってくるものでしょう。人為や人智を否定するのではなく、天然と一体になってその地の自然を創っていくことが農の本来の役割だと思います。方法で農を区別し、自然か不自然かを批判し合っても何の意味もなく、それぞれの農から見えてくる世界、経験を交流して行けたらいいなと思いました。

コメント

本当にそのとおりだなーと思います。
最近、訪問者の中にも、自然農、無施肥、自然栽培など、興味のある人が多いです。

施肥=悪、肥毒の原因

などなど、あらたな教義を刷り込まれてしまって居る人にはなかなか
話が通じない事も。教義は、時に、狭義になることも。
特に、自分で作物を育ててない人にはなかなか通じない。自分で実際やってみて成功や失敗を繰り返すと自然と謙虚になるのかな。

僕の中にも最終的には、無施肥がいいとか、極力、低投入がよいというような思い込みがありました。畑の状況に応じて、作物の状況に応じて
自由自在に変化していく。そうあり続けていきたいと思います。
2012/05/01(火) 23:00:45 |URL|たっちゃん #- [編集]
> 自分で実際やってみて成功や失敗を繰り返すと自然と謙虚になるのかな。
> 畑の状況に応じて、作物の状況に応じて自由自在に変化していく。そうあり続けていきたいと思います。

それが自然なあり方だと思います。
2012/05/03(木) 13:38:13 |URL|わたわた #- [編集]

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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