巣立ち

昨日小学校を卒業したTは、同時に親元からも巣立って行きました。Tは木の花ファミリーにて中学生活を送るべく、静岡県富士宮市へ引っ越ししました。中学校は木の花ファミリーの本宅のある富士宮市上野地区にある富士宮市立上野中学校へ通うことになります。引っ越しで家を出発する時、少しシンミリするのかと思ったら、本人はいたってケロリとしていました。わたわたも18歳で大学生活を送るために上京して、以来滅多に茨城の実家には帰らないのだけど、東京へ向けて引っ越しする前、自分はどんなだったかな〜。大学生活のこととか、自炊のこととかでどきどきわくわくしていただけだったような気がします。出て行く本人は希望や不安でいっぱいで、つまり前しか見てないからね、その姿を後から見ていた親の気持ちなんて考えもしなかったなと思いました。

Tの場合、行き先は木の花だから何ら心配はしないし、そもそも心配って子どもの成長まで所有しようってことだから心配って気持ちはわたわたの中にはないな。でも寂しいって気持ちは明確にありますね。まぁ、いつでも会えるんだけどね。

でもせっかく寂しいのだから、寂しいって何なのか、考えてみてもいいなと思うのでありました。

結局は子どもを所有する心があるから、いなくなったら寂しいと思うのだろう。本人が生きたい人生を歩んでいるんだから、そこでいろいろ経験して成長するものなんだから、子の成長を願うのなら本望だと言えるのだけれど、単純にいないことが寂しいというのは、やはりどこかに所有する心、もっと言えば依存する心があるってことなんだな。それは失うことで自分が可哀相だって感情がわくってこと、それはかなり自分本意な感情。変化を怖れる心とも言えるだろう。

常に変化し続けることが人生でも宇宙でも真理であるとして、一方で、今までのままでありたいという思い、それは何処か一定期間を区切ることで、自己を特定し、位置を確認したいっていうのが自我の本質であるとしたら、自我のなかに捕らわれれば寂しいのだし、寂しい自分を客観的に眺めたらそこにはまることも自由自在に操れるということになる。寂しいは自我に甘えているようなもの、人間だから時にはいいのかもしれない。でもそうやってはまっていても何も生まないからね、それが分かることは大事なことだと思う。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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