印象に残った話

一昨日の茨大でのシンポジウムでは有機農業に取り組む農家さんからの報告もありました。やはり茨城では原発事故後の様々な苦労があり、それは今でも続いているものがあるが、原発事故をきっかけにして気づいたことがあるという話が印象に残りました。メモしておこう思います。
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原発事故直後、全く情報のない中での対応には大変な苦労があった。売って良いのかどうかも分からない。とりあえず自粛していたが、ホウレンソウから検出と報道されるととにかく茨城県産というだけで差し止め。ホウレンソウはダメだけどレタスは良かったり、全く一貫性もなく、何が何だか分からなかった。

しかし、最もこたえたのは、数ヶ月して野菜の出荷を再開しようとした時に、今まで「安心・安全」で自分の野菜を選んでくれていた消費者が、最も放射能に敏感な人たちとなって去っていったこと、取引先の業者も関西野菜だけの販売を始めたり、懇意にしていた担当者らが関西方面へ引っ越すなど今までのつながりまで切れたことだったという。

有機農業をやるために入植した仲間の中には西日本へ引っ越したものもいたが、地元の元々の農家は引っ越しする人はいない。農家が土地を抱えて逃げることはできないからだ。

表土をはぎ取るしかない!そんな話も出ていたが、とにかく畑を耕し、タネを播き、仲間とともに地元の隅々までホットスポット探しをしたり、農産物は全て検査し、それらの情報を公開してきた。大学の研究者など新たなつながりが出来、技術的な支援も得られるようになった。

付近一帯に放射性物質が落ちてきたことは事実だが、自分たちの農地の線量は低く、野菜からはほとんど検出されなかった。農地なら何処でも低いわけではなく、いい加減な管理をしている農地では出るところもあったらしい。
これまでの有機の土づくりが放射性物質を封じ込めていることが分かったという。

「農業は除染の最前線になる」そう自覚した。封じ込めの仕組みが完全に分かっているわけではないが、はぎ取るしかないと言われていた除染にも農には農の対策があったのだ。農の基本は土づくり、作り続けることだと改めて思った。腐植とセシウムの結合は強固だが、リスクは常にある。だからこそ、常に検査し、情報は公開していく。農家も覚悟がいるし、消費者・市民も覚悟がいる時代になっている。それぞれの人がみな当事者意識で向かい合う課題であり、そういう課題を日本人自らが生み出したと自覚すべきだろう。

これまで自分たちは「安全・安心」に頼りすぎてきた。有機だから子どもやアレルギーの人にも安心して食べてもらえるとか言ってきた。その安心安全を求める人たちはたとえ僅かでもセシウムが検出されれば絶対に買わない。
安心安全に変わるモノはなんだろうか。これからは有機とか慣行とかではなく地域でともに生きることが鍵だろう。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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