偶然

今日は朝一で昨日仕上げたデータベースを実際に使う担当者への引き渡しをしてエンジニア業は一時中断。そして明日のダイズ播種へ向けて、作付け計画の最終チェックをしました。栽培方法は昨年と同じですが、閏年なので播種日の設定が同じで良いのかなどを地球暦の天体位置表で確認したり、再度タネまき時の株間の設定などを確認したり、圃場図を描いたりしました。おおよそ出来上がったところで、畑の状況が妙に気になったので見に行こうと思いました。いつ行っても良かったのだけど、何かしら、今畑に行く必要があるなと無意識と意識の境界あたりで感じたのでした。

畑に行くと、木の花EDEにわたわたが講師で行った際に知り合いになったMっちとKTさんが畑に居ました。ちょうど同僚のCさんが一通り畑を案内してくれたところでした。Mっちはついこの間、木の花で開催された第4回大人サミットにも参加していたので数日前に会ったばかり。それが畑にいるんだからびっくりしました。

「畑に来たら会えるかと思ってきたけど、忙しいと聞いたから会えると思わなかったよ」ってMっちが言うので、「何か畑に呼ばれた気がしてね」って答えました。
だって本当だもの。

畑は一通り説明が済んでいたようだったので、それでMっちたちは帰って行きました。前もって連絡くれていたらわたわたがじっくり説明できたのになとも思いましたが、Cさんが突然の畑訪問に面食らいながらも対応してくれたことは嬉しかったし、流れ・役割だったのだろうなと思いました。

また同時に思ったことは、ここのところダイズ畑の草刈りなどもあったし、たまたまダイズの播種日が明日で、久々にしっかり畑に意識を向けたからこそ、畑からか天からかの無意識層へのメッセージに気づけたのだろう。
いつものようにシステム構築業務をしていたら、この偶然はなかっただろうということでした。

畑に出れなくなっているシステム構築の仕事も決して嫌ではないのです。データベースの関数やスクリプトを組んでいくのも、業務や書類作成の流れをどう分解して再構築するか、データをどうくくっていくかというところでインスピレーションやイメージを膨らませるのが結構楽しい。でもそこに飲まれてしまうと、こういう偶然は得られないなと思うのです。

どんなに忙しくても、どんな仕事内容であっても、そこに飲まれて苦しんだり、逆にワーカーホリックなハイ状態になってしまうのではなく、いつも自分を俯瞰している状態でありたいなと思いました。小さな気づき、畑の作物が出してくれるようなメッセージをいつでも受け取れるといいなと思いました。

偶然の本質は何でしょうか?
偶とはペア。対のことです。然は当然の然でしからしむこと。対なればこそ、そのようになることが偶然です。
対の一方は自分。もう一方は自分でない側のこと。それは特定の相手のことではなく、自分を除く世界のこととすれば、自分はこの世界の構成員でもあるのだから、自分の内側にいる自分と世界側から見た自分。すなわち自我と役割(流れ)のことです。自我からしか見なければ、偶然はたまたまに映るだけ。流れの側から見たら、わたわたとMっちたちがそれぞれに動いてきて、出会っただけ、それぞれの動きの交点がそこにあっただけ。自我から見るからサプライズがあり、流れをいただく姿勢があればメッセージを受け取る精度が高まるのでしょう。つまりは自分を俯瞰しながら日々をやっていくことだなと思いました。

そんなわけでダイズ試験圃場の区分け。
ダイズ準備
キレイに踏み跡完成の写真。キッチリ区分けされていて、まるで何処かの試験場みたいです。
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うらにはには

わた家の裏庭はちょこっと自家採種場になってます。
うらにはには1
育種中の黄金蕪(Rutabagas, Brassica napus L. ver. napobrassica )が満開です。アブラナ科作物は、組織の何処かでカロテノイド系色素を発現させる品種は必ず花弁色が橙色がかるという性質があります。ハクサイの「オレンジクイン」、カリフラワーの「オレンジブーケ」なども同様の花色になります。

うらにはには2
こちらはニンジンとスイスチャード。今年は寒くて越冬できたニンジンが少なかったです。
スイスチャードは黄色のものだけを選んでいます。固定は早いけど、発芽の良いタネの増殖が難しい。

草刈りの心

今日は波田地区の市民の皆さんと一緒に運営しているダイズ畑の草刈りに行きました。ダイズ畑といっても今の時期はまだ小麦畑です。昨年はダイズと大麦を同時播種して、大麦が夏期に自然に枯れて敷き草になる「カバークロップ」を利用して草取りを省力化しようとして見事に失敗。緑肥大麦は雑草を抑えきれず、かえってダイズが雑草に負けてしまう結果を招きました。同じやり方を自農センターの畑でやると草取りをほとんどしなくてもダイズが育ちますが、こちらの畑ではダメなのです。土目はどちらもいわゆる火山灰土で同じですが、育土が違うのです。作物をまともに育てられない土の状態で、方法だけ緑肥マルチ(カバークロップ)を導入してもダイズを育てる効果を発揮しないってことです。やはり小手先の技巧に走ってもダメで、育土とは作物を育てることを通してのみ進むのだということで反省して、昨年秋のダイズ栽培後に小麦を播き、ここまで育ててきました。
P畑草刈り0
予想通り小麦と小麦の間の雑草は大人しく、しかもほとんどが春の雑草です。夏雑草が発生していません。
やはりイネ科作物を完熟へ向けてつくることは、畑を畑らしい生態系へと誘導していく効果が抜群にあることを実感しました。

さてこのブログ記事の本題はここからです。

この畑はダイズづくりをしている有志の会員でもあるKさんの好意でKさんの契約している借地畑の1/3を借りている畑です。畑の前のやや離れた道をいつも通っているので、遠目には観察していました。麦が出穂したなとか、雑草が小さいなとかは見ていたのです。そして周囲の雑草が大きくなってきたので、そろそろ草刈りしようかと思って、今日草刈りに行ったのでした。
というのも。遠目にはKさんは今年は作付けをしないつもりなのか、手入れをしに来ていないように見えていたからです。

畑の入り口はいつも見ている道路の反対側です。そちらへ回って入っていって驚きました。
P畑草刈り3

うわっ、雑草を伸ばし過ぎてしまった。うちもいけなかったけど、こんな風になるまで放っておくなんて、Kさん撤退するつもりなのかな・・・・。

んっ!
P畑草刈り2
あっ、これレタス。こっちはキャベツか。
Kさん、自分の作物だけ植えて周りはお構いなしなのか。いつから自然農スタイルになったのかな、これは大変なことになるぞ。

気を取り直して草刈りを始めました。
P畑草刈り4 P畑草刈り1
入り口からうちの麦がある部分に相当する通路と周辺の畦コンクリートとの境などの草刈りをしていきました。

草刈りを始めると、まもなくこの畑の後にある住宅からおじいさんが出てきました。そしてブスッとした顔つきでこちらを見ていました。刈払機を使いながらも頭を下げて挨拶しましたが、反応がかえってきませんでした。


「今まで放っておいて今頃来たのか」って思うのが当然だなと思いました。
自分たちの研究用の畑では、周囲との調和を大切にということをいつも言って草刈りを丁寧にやって来たし、研修生たちにも作物管理がどんなに忙しくても、隣近所に配慮することが大切で、いつも畑を畑らしく維持管理することで周囲の理解も得られるって話をしてきたのに、自分はなんて態だろうと思いました。

自分たちの畑はキレイにするが、みんなで運営している畑に対しては自分事として関心を持ってこなかったということです。それで除草剤を使わないだの、無農薬だの言うのは何なんだよ。それって自分の畑のことだけを考えて、周辺環境に及ぼす影響を無視した農業をやるのと精神的に大差ないじゃないか。エコ農業でも何でもない、無農薬エゴ農業じゃないか。今回だけでなく、こんなことをやり続けていたら、波田地区に何年存在していようとも自農センターの真似をして農業をやろうという人は出てこないだろう。自ら周囲に理解できなさを発していたってことじゃないか・・・・。

農薬を使わないかどうかよりも、そこでやる農業を通して、関係者や周辺住民に何をもたらすかを意識していたのかが問われるのだと思うのです。研究と称して狭い自己実現、好き勝手なやりたい農をしているだけなのか、本当に農家や地域農業の役に立つ技術開発をしようということなら、何を優先すべきなのかです。それは自明で、土や土地の持っている特性に注目し、敬意を払って適切に対処することをモットーにしているのです。なのに、言っていることとやっていることのこんな乖離はないだろうと。

見て働いて気持ちの良い畑、合理性と美しさが両立する生態系をつくるためには、エゴではない畑との向き合い方、単に草が出なければ良いってことではなく、一段高い精神性が伴っていて初めて機能美のある畑、人が見て納得できる畑は可能になるものだと思うのです。自分たちの研究畑がどんなに忙しくなっても、ここも自分たちの畑として思う心があってこそ、ともに関わる市民の皆さんや周辺の方々の理解も得られるというものでしょう。

わたわたはこう反省し、この畑も自農センターの畑のつもりで取り組もうと決心しました。
そしてたった今から、心を入れ替えて、心を込めて、草刈りをしよう、失ったであろう信用を取り戻すには、隅々まで心を行き渡らせて草刈りをしよう。強くそう思いました。

その直後、道のほうに再びさっきのおじいさんがいるのに気がつきました。
今度は刈払機を止めて挨拶しました。

すると、
「草が多くて広くて大変だね。いつも横の道を通りながら。ここに捨てられるゴミを拾っているんだよ」
「マナーが悪いのがいてこまるよ。草刈り頑張ってね。」
と返事が返ってきました。

わたわたは嬉しかったです。心の底から「ありがとうございます」って応えました。
良かった。やはりこちらの心を切り替えたからこそ、おじいさんがいつの間にか横にいることに気づいたのだし、気持ちの良い挨拶ができたのだと思いました。どんなことをやるにしろ、どんな心で取り組むのか、そのことを通して、自分にも周囲にも何をもたらすのかを意識することが大切と思いました。

周辺の草刈りと同時にムギの畝間もハンマーナイフモアで草をたたきました。
P畑草刈り5
もともと麦が抑えてくれていたところにハンマーナイフをかけると、
P畑草刈り6 P畑草刈り7
見事に有機物マルチされた畝間ができました。
6月中旬(太陽黄経80度)にダイズを播き付ける予定です。

ライ麦

ライムギが開花しています。
今年のライムギ
キャベツとの二毛作をしている今年のライムギがいつもと違うのです。

通常、ライムギは草勢が強くなると、草丈が高くなり、穂も大きくなり、倒れやすくなります。草丈を抑えないと、収穫も大変。しかし草丈を抑える=草勢を弱める→穂が小さい。倒伏しないが、収量低い。という困った図式があります。

しかし、今年は穂が大きいのに草丈は小さい。いや草丈がそれほど高くならないのに穂が大きいのです。麦っぽい。
畑に合わせてライ麦が変わってきたのかな?

やしろ

数日前に降りてきた「社(やしろ)って何?」という発想。社を国語辞典でしらべると、「中国古代の地縁的結合社会を象徴する土地神。また、それをまつる場所。」っとある。しめすへんに土だから、神社のことなのは分かるけれど、社単独でその意味があるなら、神社ってわざわざ表現しなくてもいいのに。

では、会社とか、社会とかも含めて、社をどのように捉えるか。

社の字のごとく、本来肉体を持たない神さまが土をまとっている(物質化している)ということは、地上に降りている神さま。

神の字はしめすへんに申すのです。「しめすへん」とは「示」の字のこと。示すとは自分の考えを人に見せる、伝えることなのだから、考えを申す=言葉として示すものが神。初めは言葉だったというが、古今東西の世界の始めに出てくるように、この世界のもと、言葉として申す前に、この世界という1つの想念があって、そこからまず申すものが現れた。そして申し方が変化し、次々と神話の世界が展開していくっていうのは、宇宙の起源、素粒子の進化のようなもの。

そして地上に降り、自分の考えを土=三次元世界で表現するものが社(やしろ)ということになります。ここで言う自分とは個々人のことのようで、それでは個々人とは何かというと、元もと1つの命として誕生した単細胞生物や人類がそれぞれ多様化して生態系や人と人のつながり作り出してきたという経緯から見ると、個々人とは役割分担(八百万)、全体で1つの表現をしている自分ということになるでしょう。

社とは人間のことであり、人の作る関係(コミュニティ)のこと。

会社とは、1つのコンセプト・理念・目的のもとに集まるコミュニティのことであり、社会とは八百万の人間たちが関係を持ち合う時空間です。

会社(私企業)も地域社会も日本社会も、自分たちは何なのか、その存在の意味、価値、役割を自ら問う流れが来ています。それは人が社(やしろ)本来の意味に立ち返る時を迎えているということなのだと思うのです。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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