きりたんぽ

今日の夕飯はイタリア風きりたんぽ鍋。今日はNamiさん担当。
イタリア風きりたんぽ1
きりたんぽも手作りです。玄米なので、茶色い(笑)。玄米きりたんぽは、汁を吸いにくいので、なかなか鍋向きでした。

イタリア風なのは、トマト仕立てなので。スープには今年の夏に大量にとれたトマトを煮ておいたものを使いました。
きりたんぽ以外の具材は、厚揚げ、カブ、キャベツ、ニンジン、ダイコン、スイスチャード、ミズナ、赤ピーマン(ピートン)、マイタケです。出汁は野菜からのうま味です。仕上げにとろけるチーズ。
イタリア風きりたんぽ2
食べるときは、石垣島ラー油(もらい物)と新潟の南蛮味噌(上越市安塚特産「ああから」)を添えていただきました。

文化祭

今日はわたわたは仕事でしたけど、Namiさんと子どもたちは波田地区文化祭に行きました。文化祭自体は公民館が主体で、以前からやっていた各サークルの展示や発表会や交流企画が中心なのだけど、商工会のイベントとの連動した企画となっていて、結構オリジナルな催しもあって良い感じだったらしい。若手に担い手が移って様変わりしてきたんだろうな。一方、以前は10月に行われていた収穫祭はなくなってしまい、8月のさいさい祭りでもスイカ食べ放題もなくなり、農業関係はまちづくりイベントから退いてしまっているように思える。文化祭ではフリマもあったみたいだけど、業者が多くて何だかなという感じだったらしい。ここに収穫祭をもってきて、農-商工-公民館連携ができたらいいのにね。

そんな会話をしていたら、こんな妄想が出てきた。

ぷ組マルシェプロジェクト(PMP)。
☆信州ぷ組員の多彩な農産物を集めて、どこかの地区のフリマや文化祭、産業祭などに出店する。
☆メインはその地区のぷ組員の農産物として、みんなの農産物で周辺を固めるイメージ。そのぷ組員の農産物だけでは、種類が限られるから、みんなものを集めて、ディスプレーも工夫して並べて販売。
☆ぷ組全体でやるというよりは、それぞれの組員がやる販売を兼ねた地域活動に、有志同士で相互に応援しあうイメージだが、同時にぷ組ブランドを試行してみる機会になる。
☆各農産物や説明のポップには、それぞれの農園の説明をつけるが、すべてに「ぷ組ラベル」など統一した意匠を施す。
☆単発でやるよりは複数箇所で毎年継続することによりぷ組ファン、ひとのつながりづくりを志向していく。各地区のイベントに販売を通して、華を添えていくことは、ぷ組の目的とも合致するっっと思う。

まぁ、今のところは妄想です。はい。

ハクサイとタカナ

ハクサイが良い感じになってきました。9月初旬の長雨&台風で植え遅れたもののなんとか挽回。
ハクサイ結球中
霜はもうちょっと待って下さいm(__)m

タカナ不耕起
こちらは花壇跡地に不耕起で播いたタカナ(品種「信州高菜」)。
霜に2,3回当てると美味しくなる。早く霜来ないかな(笑)。


ハクサイはスイートコーンを緑肥として鋤き込みして、元肥ゼロでスタート。嫌気ボカシやカニガラによる追肥で育ててます。雑草もほとんど生えないし、害虫も着きにくい。今日来た見学者に「ボカシは米ぬかだけですか?」って聞かれたので、「いいえ、油かすや魚粕も入ってますよ、窒素成分4.5%です」って答えたら、「窒素を多く含むボカシも使うんですね」って言われた。

う〜ん、何か誤解があるのかな。有機肥料の成分で窒素コントロールするっていう栽培ではなく、ハクサイに自分の生理生態に合わせて吸収してもらっているんだけど。スイートコーンの残さはC/Nが30以下20以上という微妙な有機物なので、ハクサイしだいで利用できる栄養源と考えています。

ハクサイは定植30日後から50日後あたりに急速に窒素吸収するので、そこで十分な速度で養分が吸えないと結球が不完全になる。だから最初に根張りを優先させるのだし、ボカシは微妙な土壌環境に弱く刺激を与えて、ハクサイの養分吸収を助けるというもの。直接供給ではなく、土壌生物の働き=スイートコーン残さの分解を少し促進するようなもの。ハクサイの生態に、この土壌環境で合わせるにはどうするのか?という技術。

タカナだと、そういう養分吸収の高まりは必要ないから、花壇をハンマーナイフで砕いて、タカナのタネをばらまきしておくだけで勝手に畑になるし、ゆっくり養分供給すれば害虫はつかないし、大きくなったところから間引き収穫していって、長く収穫できる。

そんな説明をしていたら、「ハクサイのボカシの使い方は、スイートコーンを使う場合の話ですよね?」って確認された。う〜ん。わたわた:「この畑で」が付くね。さらに「じゃぁ、一般化はできないですよね」っていうから、わた:「方法自体はそうだね」という答え。誰でもどこでも同じにできる方法を求めてる? 会話から見える農業観・技術観。

農業技術において、同じ方法がどこでも通用するケース。実はそれほど多くない。農薬ですら、畑が違えば効きが違う。どんな技術もローカライズが必要。その過程こそ農法なのだ。どこでも同じなのは方法ではなく、土と作物との関係を読み解く原理。

蠍座と和魂

今日は神無月の新月です。旧暦ではこれから10月なんですね〜。新月ということは太陽と同じ方向に月があるということ、太陽と月は蠍座にあります。

わたわたは蠍座。蠍座のイメージでその昔どこかで読んだことがあるのが「受けた恩は10倍に、受けた仇は100倍にして返す」という説明。これには当時のわたわたには当たりすぎていたので笑いました。そっか〜、確かに誰か特定の人を自分の中で勝手に仮想敵にして、この人を超えてやるとか、自分の存在を分からせたいみたいなものを自分を動かす原動力にしてたな。しかも自分の中だけで収めておけばいいけど、こちらが危害を加えられたわけでもないのににらみ付けていたりして、その特定の人にとっては身に覚えがないわけで、随分迷惑なやつだったなと(笑)。もうそんなことはないので安心して下さい(笑)。

ところで、今、ライトに星の勉強中。占星術をマスターというよりも、地球暦との出会いから。
太陽を中心に回る惑星を大時計と見立てたときに、各惑星が示すリズム、その総体が示す刻々の様相を自分の生活や農業に活かしていきたいと思うから。

地球暦を時計とみるということは、通常の時計-24時間の時計-の意味を知っていて、60分の長さを感覚が分かっているから、お茶の時間も作業時間も時計を見なくともだいたい分かるように、思考や感覚、体調や人との出会いのサイクルを太陽系感覚で意識できるようになりたいということ。生活や作物栽培の記録を太陽系の運行に照らし合わせてみたい。そんなときに、1周の環を12等分している星座や各惑星について、人類が長い年月をかけて関連を見いだしてきた占星術の智恵を参考にするのは近道だろうなと思います。科学は既存の理論や経験知のみで現象を説明することではなく、現象を読み解く視点を提供し、より大きな枠組みを見いだすための問いかけをつなげていく道のこと。道を求めていくことが科学なら形而上学も心の科学と言えるでしょう。

そんなわけで星座の話。いわゆる12の星座宮(サインというらしい)は、4素子(エレメント;火、土、風、水)と3要素(クオリティ:活動、不動、柔軟)に分けられて、4かける3で12と区別できるらしい。

牡羊座宮 火 活動
牡羊座宮 土 不動
双子座宮 風 柔軟
蟹座宮  水 活動
獅子座宮 火 不動
乙女座宮 土 柔軟
天秤座宮 風 活動
蠍座宮  水 不動
射手座宮 火 柔軟
山羊座宮 土 活動
水瓶座宮 風 不動
魚座宮  水 柔軟

なるほどこうならべると、各星座宮がユニークな特徴を持つことになるのが分かる。
ということは、エレメントとクオリティの意味・ニュアンスが分かれば、12サインの特徴をイメージできるようになるということ。4素子の火、土、風、水っていうのは、精神、物質、智恵、感情を象徴するという。
そう知ったら、頭に浮かんだのは、これって日本神道における一霊四魂の火、土、風、水と同じじゃないだろうかということ。つまり荒魂(勇)、幸魂(愛)、奇魂(智)、和魂(親)に相当するように思う。

そうすると、牡羊座宮は、荒魂(あらみたま)が活動するわけだから、勇ましくどんどん物事を進めようとかいうイメージ。乙女座宮は、幸魂(さちみたま)が柔軟なので、愛や恵みを素直に受容するというイメージ。天秤座宮は奇魂(さきみたま)が活動するわけだから、積極的に智恵を使うことというイメージ。蠍座宮は和魂(にぎみたま)が不動なのだから、心や気持ちのやりとりを大切にするっていうことかなと想像できそうに思う。

和魂、それは日本人がモノや動植物に感情移入してしまうその感覚・アニミズムかなと思う。わたわたはハクサイとかキャベツとかの根がどうなってこうなってって例話をするけれど、まさにそれ。

蠍座宮の不動の和魂というのは、心のやりとりを大切にするから、人との関係でいうなら、相手のことを考える、他人を主役に立てるというイメージになるが、一歩間違うと、特定の人にだけ思いや感情を向ける利己的な心に陥りやすい。最初の笑った蠍座のイメージはこんなところから出てきた話だろう。

自己中に陥らないためには、和魂の本質が万物のもとが心・思いであるという世界観であると捉えること。
本質の側から自分を観たときに、感情に飲まれているかが分かる。気持ちや思いを大切にすることが万物がそうやって思い通じ合うことによって、この世界を動かしている。正確に言うと、思い通じ合うかどうかの試行錯誤が物理的な運動諸法則ということであり、それに乗っ取って万物は存在し、それぞれの領分でアニミズムを表現しているということなのだ。

名前というもの

自農センターの種子頒布業務を現在担っている職員Aくんから、看板の「自然農法の種子」という表記を変えるべく検討しているという相談があった。わたわたは前任者なので。この看板の名前は、わたわたが担当になったときには既に付いていたものであるが、わたわたとしては納得して使ってきた。今回の相談とそれに対するわたわたの答えが面白かったので紹介してみたいと思った。

まずAくんからの相談メール(抜粋)

> 現在、自然農法の育成品種の品種カタログを作成しております。
> (中略)会議におきまして、これまで使用してきた「自然農法の種子」
> を「自然農法のタネ」に変更してはどうかという意見があり、今回
> 作成しているカタログから「自然農法のタネ」という表記に変更したい
> と考えております。私の記憶だと、研究部内で、「種子」と「タネ」、
> 「品種」の用語について整理したことがなかったかと思います。今回、
> アドバイザーからのご指摘を頂いたこともあり、(中略)意見をお伺い
> したくメールした次第です。
> 私自身、これまで「種子」と「タネ」をあまり区別なく使用しており
> ましたが、「種子」だと種子植物で有性生殖によって形成される散布体と
> 定義されているため、栽培作物以外の「種」が含まれてしまいます。
> また、種苗会社でも「種子」ではなく「タネ」や「品種」と表記されています。
> そのため、今回から「自然農法の種子」を「自然農法のタネ」と変更した
> 方が良いのではないかと考えております。
>
> 一般の書籍も含め文章によっては、タネ=種子であったり、タネ=品種と
> 読み取れる場合もあるかもしれません(特に自家採種関連の書籍)。
> 今後、(中略)「種子」「タネ」「品種」について整理する必要があ
> るかもしれません。(以下略)

で、わたわたの返信メール

「自然農法の種子」という表現において「種子」と表記すると、作物以外の植物のタネが含まれるから不自然であり、変えるべきという理由が分かりません。農業において、作物以外のタネを播くことはありません。農業用のタネで作物以外ということが想定できません。緑肥も作物です。雑草はタネまきしなくて生える天然の存在。

「種子」には作物のタネが含まれることは当然であり、「農」の種子と言えば、作物以外はあり得ない。

不自然という指摘(?)を曲解してみると、「自然農法で栽培された雑草の種子をも含むと誤解される?」という懸念でしょうか。もし雑草も採種して頒布するなら農の一部になるからもはや雑草ではなく、作物になるでしょう。
「自然農法」という表記と「種子」という表記が並列して「自然農法の種子」と表記されていたら、作物の種子であることは明白であると思います。

種子では『栽培作物以外の「種」が含まれてしまいます』が、種子をタネに変える理由であることには違和感を覚えます。


私は意識して呼び分けしてきました。
タネは漢字表記すると、「種」になってしまい生物学用語の「シュ」と誤解されやすい。そこでタネそのものを漢字で表記する場合は「種子」を使って来ました。
カタカナで「タネ」という表現は、私はあまり使ってきませんでした。世間的には、タネそのものである場合もありますが、かなりの頻度で「品種」を表現する使われ方が多いと思います。

一方、「自然農法の種子」は、自然農法で育種された「品種」というニュアンスと、自然農法で採種された「種子」というニュアンスを同時に含むものと理解しています。カタログには、「品種カタログ」と別記するので、看板に「自然農法の品種」と表現する必要はない。世間を見渡せば、当然タネと表記しても良いところですが、漢字四文字で「自然農法」と書き、平仮名の「の」、そして「タネ」とカタカナでつづけると、バランスがわるいと思います。とてもセンスがないように見えます。いっそ「しぜんのタネ」とした方がポップでありかなと思います。

ついでに英語表記について。タネ袋のデザインには、「Seeds for Nature Farming」と表現しています。Seedsは、タネのニュアンス、品種たちというニュアンスに加えて、自然農法へのいざない、想念の種(タネ)というニュアンスが込められています。通常はVarietiesであるべきなのですが、採種まで自然農法で行っているタネという意味、多くの品種があるよというメッセージ、そしてこのタネが自然農法に入るきっかけ(種)になればいいなという想いが込められています。

学術的にどうなのかという検討も必要でしょうけれど、言葉というのは言霊であり、文字には想念を固形化させた力(文字霊)があります。タネというカタカナと種子という漢字を比べた時に、メッセージ性を持つこと・想念が伝わることも考慮して比べたらどうかと思います。
そもそも何のために品種を開発し、採種し、頒布をするのか。その想い・信念を込めたものが名前です。
名前とは想念であり、物質界ではなく、形ある世界と形なき世界との狭間、霊界に属するものです。名の前において、相応しいかどうか、言行一致が問われる自らへのカセでもあるのです。
どんな名前にするにしても、改名は想念を変える法であること、名前に相応しい在り方が現されてくることを意識したいと思います。


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以上です。書いたのはわたわたなんだが、最後のくだりは勝手に湧いてきた話でした。そっか名前ってそうだな、ものの本質を現すものであり、その名前のもとにどう在るかが、名前に力を与えたり、奪ったりするものだったなと思い出したのでした。


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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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