アブシジン酸

何日か前のFacebookで、玄米食の問題点とかそれを解決する炊き方みたいな話が流れていた(知人がいいねしていた)。ちょっと覗いてみると、「玄米にはミトコンドリアに毒性を持つアブシジン酸が含まれる」という話であった。アブシジン酸(ABA)は植物にとって発芽毒であるが動物のミトコンドリアにも害があり、そのせいで玄米食を続けると調子が悪くなるのだという・・・。

ミトコンドリア毒?発芽毒?なんだそれ?
一体その根拠はなんなのか。元の情報になかなか行き着かない。どうも怪しい。

「アメリカ合衆国・国立科学研究所発表の、アブシジン酸に関する論文」ってのが出てくるんだけれど、原著が何だか分からないのだ。

そもそもそんな研究所は存在しない。

その論文に書いてあるという内容は、「人体に対しABAの作用で、ヒト顆粒球(白血球の一種)で食作用が活発化し、活性酸素や一酸化窒素が多量に産生され、生体細胞内のミトコンドリアが損傷され、諸疾患の原因になることが指摘」されているのだという。

顆粒球のなかで食作用を起こすのは主に好中球。その食作用は異物を丸飲みして内部で殺菌するというもの。
活性酸素や一酸化窒素が多量に産生されるのってどこでどのくらい?
生体細胞内のミトコンドリアが損傷ってどこの細胞の? 
食作用の話とミトコンドリアの話はつながっていないし、意味不明。

そもそもミトコンドリアは真核生物の細胞全てに含まれています。人間だけでなく、すべての動物、カビ類、そして植物。

ミトコンドリア毒だっていうのなら、人間云々以前に、既に植物に効いているんじゃないのか?
タネを生で直接食べてしまう鳥なんか、命がけで食べているのか?
昔っから生き物たちが食べてきたものを食べて人間だけがミトコンドリアを損傷するのか?

突っ込みどころ満載の根拠の分からない話。こんなのがなぜ紹介されて、誰がオリジナルか分からないように拡散してしまうのだろう。何でも原書に当たってみなければいけないと言っているのではなく、問題の本質はそこじゃない。

生物学の知識というよりも、最低限の生き物たちへのイメージを膨らませてみたら良いと思うのだ。

家畜は生のタネ類や乾燥させた緑餌を与えたりするわけだし、野生の鳥は休眠している木の芽(アブシジン酸がいっぱい)や穀物を食べるのだけど、それらの生き物がアブシジン酸で大変な状態になっているのか?

その「厳格なマクロビ食で人間が体長を崩すのはアブシジン酸のせい」だという説の前提、そもそもマクロビ食で体調が悪くなっていうのの実態は何なのか。それはビタミンB12の欠乏かもしれないし、難消化性のものを食べ続けることでの消化不良かもしれないし、そもそも365日完全マクロビ食なんてかなり難しいのでは???など実態が明確でないのに原因も何もない話なのだけど。

それにしても、イメージだけで実態の良く分からない説をそのまま引用したり、いいねしたりするのではなく、実態・実体はなんだろうかとか、他の自然現象とのつながりはどうなっているのだろうとか、ほんのちょっと他の生き物のことを考えてみるとか、ただそれだけのことなのにな。そのままツイートしてしまうっていうのは何なのだろう。
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地域内自給が必要だろう

大雪によって山梨県も長野県の東信地区も盆地全体が孤立しているような状態らしい。新幹線は動いているようで人は何とか首都圏へ移動できるみたいだけど、物流が止まってしまうと、食料もガソリンも入ってこなくて、生活に影響が出てくる。松本のスーパーでもパンや牛乳、納豆、豆腐がなかった。お総菜も少ししか売ってなくて、だぶん原料が入ってこないのだろう。うちは備蓄食料があるので、買い物に行けなくてもしばらく大丈夫だけど、一般家庭ではあんなスーパーの状況じゃ不安になるだろう。学校給食とか病院の食事とかは大丈夫かも気になる。

多くの農家には米も貯蔵野菜もあるから、こういう時は声をかけてもらえば、何とか皆が飢えないための最低限度の食料は集められるんじゃないかと思う。音頭をとって皆の善意を集めれば何とかなるはず。狭い地域、町内や隣組は簡単に助け合えるんだけど、市内や県といったレベルになると全然ダメなのはなぜだろう。

ふと思ったのは、甲信地方みたいに山で囲まれた地域であっても、日常生活に必要な物資の地域内の物流っていうのは少なくて、大都市圏から地方へ物が流れてくるのが当たり前になっているということ。農産物だけでなく、加工品や食品一般がもっと地産地消型になっていたら、大規模な物流が止まっても、地域の生活道路が動きさえすれば必要なものは行き渡るはず。

21世紀は人口減少の世紀、情報化と物流のテクノロジーやインフラによって世界はますます狭くなるという…。

ホントかな。

本当の世界は、雪で1日にして全県的に孤立してしまう方じゃないのか。東京から西へ50kmの地区へも物を届けられないという現実。海外から食料持ってくることができても、それは常に何時止まるか分からない砂上の楼閣だろうと思った。今回は特別な雪なのか。そしたら夏にすごい台風が来て、今回の台風は想定外って言うのかな。こういう異常気象が日常になると考えることが現実にそくして物事を考えて行くということなんだろうと思う。

どこかの記事で「大雪を理由に会社の面接に来れないなんて人は採用されない。約束の時間は何があっても守るのが社会人の常識だ…」というのをみた。

社会や経済の常識とやらと自然と人間の関係を同じ土俵で考えることは、物事のレベルの違いが正しく認識できていないってことだろう。地球的にはこんな非常識な考えはない。

人口が減るからこそ、気象災害はもっと起きてくるだろうからこそ、リアルな経済の仕組み、物流を作らねばならない。どんな時でも皆が飢えずに安心してご飯を食べられる仕組み、それを行政も民間もそれぞれの立場で試行錯誤しながら積み上げ、つなげていくのだ。協力も競争もしながら。

ハナイグチ

野生きのこ「ハナイグチ」から放射性セシウムが検出されたということでニュースになっている。ハナイグチはこの時期にとれる野生きのこの1つで、長野県ではなぜか「りこぼう」と呼ばれているやつ。わたわたも好きな地きのこだ。
ニュースになっていたデータをみると、野生ハナイグチで基準値越えで、ナラタケは基準値以下だった。野外で採れるキノコが全て基準値越えなのではなく、種類によるということ。

ハナイグチはカラマツ類に共生する菌根菌。しかもキノコのくせにリグニンやセルロースなどの高炭素率有機物の分解能がないらしく、栄養的にはカラマツ類に依存しているらしい。菌根として根と一体となって、カラマツの養分吸収を助け、カラマツから同化産物を分けてもらって生活している。なので、カリウムと区別されずに吸収されてしまうセシウムがハナイグチにも移行しているとみられるのだ。生きているカラマツの葉に飛来したセシウムは直接吸収されるだろうし、葉や幹を伝って落ちる雨水に溶けて、根の分布域に多くが落ちることになって、吸収が特別に多くなるのかもしれない。

野生キノコでもナラタケは腐朽菌であり、枯れた木質部分(主にリグニン)を自ら分解して育つキノコなので、その木自体が生きている時にセシウムを吸収したものでなければ、ナラタケに吸収されるものは少ないことになる。基準値以下だが検出されているセシウムについては、その木の木質から移行したものというよりも、風によって飛来し降ってきたものが付着したり、木材の表面からしみ込んで吸収されたものだと思われる。

野外で栽培されている原木栽培シイタケの場合は、ナラタケと事情は似ている。日常的にセシウムが多く降り続いているエリアではどうにも防ぎようがないが、そうでないところでは原木自体が高濃度に汚染されていないならば、栽培キノコへの移行は小さいであろう。

しかし忘れがちになるけれど、日々排出され、あちこちにセシウムは飛来を続けている事実があるのだ。

全てはこの世界にどう向き合うか

いつもの直売所に出荷に行った。ナスやピーマン類が売り場に溢れていて、明らかに供給過剰のようだ。こうなると決まって値下げ競争になってしまうのが大所帯な直売所の常´_`;)
ありえない値段のパプリカ
なぜ値下げするのかと言えば、安ければ買うだろうと考えるからだろう。高いから売れないのではなく、お客さんが少なくて余るほど野菜があるから、自分の野菜が選ばれる確率が下がっているということなのだ。安くしたから目にとまるかといえばそうでもないし、安いものを選ぶ人も当然いると思われるが、そういう人ばかりでもない。また安くした分、もし売れても儲けは減るのだから、冷静に考えるとあまり良いことはないはずなのだ。
しかし、値下げする人はどんどん値下げするのだ。
皆が150円くらいをつけているところに70円とか、この写真のパプリカのように周囲が350円に対して100円とか。

パプリカ3個100円には唖然としてしまった。

パプリカ3個350円ということは1個117円である。スーパーマーケットで1個当たり128円とかで売られているから妥当な売値だと思う。信州での夏秋栽培ではハウスを上手に使っても1株多くて15果から20果くらいが限界であろう。1果平均果重を150g、栽植密度1100株/10a、可販率75%くらいに考えると、おおよそ15000果/10a(2.2t/10a)くらいの収量になる。1果117円*0.7で82円が売り渡しの単価とすると、120万くらいの粗収と大雑把に考えられるだろう。手間のかかる作目ゆえ、このくらいは最低ラインで、技術があれば当然もっと増収・増益できるものと考えていい。

そう考えて3個100円を考えてみると、1個30円。もし0.7がけしたら21円。逆に30円から市場流通させて仲卸、スーパーと二段階を経た場合の売価は60円くらいになる。これじゃ輸入野菜のパプリカより安くなってしまう。
30円で15000果で45万円/10a。こんな価格つけたら農業としてはやっていけない。

このパプリカ100円をつけている人(福祉作業所らしい)は、野菜を売って生計を立てているわけではあるまい。
売れ残るのが嫌とか、自分のところの野菜だけが売れれば良いとしか考えていないのだろう。
パプリカがどんな野菜であるかも分かっていないから、適正な価格という発想がない。当然他の農家のことや地域農業のこと、直売所に農家や消費者が何を求めてくるかなんて考えることもないのだろう。
安易に値引きする農家の発想も似たようなものと言える。

狭い視野で売り場を見渡して、100円なら買うだろうという値段の付け方。
消費者を全く軽んじている。
パプリカの背負っているものを踏みにじっている。
農業も食も無視し、食べものではなくお金しかみていない。
とわたわたは思う。

自分のだけ売れれば良いという発想が全くひとりよがりである。
障害者支援施設であるなら、なおさら地域の人々とつながらなければならないのに。

買う人に何を買ってもらいたいのか。本当の理解を広げるための野菜栽培ではないのか。

野菜栽培を通して、また野菜販売を通して何を表現したいのか。
野菜の生長する様や自然に触れること、それは常に人間の根源を確かめる生き方ではないのか。
また価格とはその心を表現する機会なのであろうに。

「パプリカに値段をつける」ただそれだけのことのなかに、人と人との認めあえる関係を築いていくことや自然に生かされる人の本質に日々気づいていける生き方を現すことができるのだ。その扉は常に開かれているのに、扉の向こうを見ようとしない。そこにあるのにそれに気づかない。

今目の前にあるパプリカ1袋のなかに、パプリカ自身の歴史やそれを育ててきた人たちの関係や想い、自分たちが向かおうとしている未来、全てがつながって存在しているのだ。
ただ今日だけ100円で売れれば良いのではない。100円で売れば、自分たちのパプリカに費やした時間を100円と値決めし、100円の未来を選択しているということなのだ。
なぜそれに気づけないのかは日々の生活や所作の1つ1つが何からもたらされ、何処につながっていくのかという意識がないからである。

100円パプリカだけではない。

社会を見渡すと、
自分だけ、今だけ良ければという発想。身近な周囲とだけ見比べることや直近の都合しか考えない狭い視野の捉え方がいっぱいある。
自ら視野を狭めて、表面しか見ない、見ようとしない。
それは自分に危害が及ばないことを最優先する心のもやが立ちこめているということだろう。気を紛らわす安易な娯楽や何かや誰かを悪者にすることで思考を麻痺させ続けることが流行ることになる。

全てはつながっていて、1人1人の心の在りようが社会の風潮をつくっている。
私1人分の気づきや行動が良い社会も無関心で殺伐とした未来もつくっていく。
全てはこの世界にどう向き合うかなのである。

織り交ぜられている

セブンイレブンがお弁当やおかずのデリバリーサービス(セブンミール)をしているらしい。5週間先までネットから予約ができて、500円以上は配送無料なのだそうだ。素材と栄養バランスにこだわっているとチラシにあるように、確かに街のお弁当屋さんや普通のコンビニ弁当に比べると野菜が多いようだ。わた家からみるとタンパク質摂り過ぎだろって思うが。しかし、わたわたが注目したのは、メインのお弁当や食材じゃない。
セブンイレブンのちらし
ちらしの真ん中辺、店内で扱っていない雑誌、それからセブンミールのWebサイトに掲載されていない品物(店舗にはある)もお店と相談すれば扱うことも出来るという点。お店毎の対応に随分と幅を持たせてあるという点なのだ。

セブンミールで検索すると、通常のコンビニ弁当より美味しいとか、味つけが不安定とかいろいろと評判をみることができる。デリバリーやお店での引き渡しが便利というものからモタモタや間違われて憤慨したというものまでいろいろな反応があるようだ。

そもそもこのセブンミールのコンセプトはどこにあるのだろう。
都会から田舎まで全国にあるセブンイレブンで一律にこの手のデリバリーサービスを展開しようとした場合、地域ごとにかなり一次商圏の範囲も客層も異なることは容易に予想される。今までのロジックでは、なるべく全国一律の制度で運用しようとするだろう。どこでもどの店舗でも同じサービスになるようにと。でもこのチラシやネットでの評判から感じられるのは、わざわざ一律なところをギリギリまで減らし、各お店の地域での位置づけ、経営方針のなかにセブンミールを道具として利用してもらうように設計されているというものだ。Webと店舗での行き違いや間違いがあったり注文システムにも不備が多分に含まれているようだが、これもそれこそ大がかりな社会実験をしているようにも思える。運用しながらちょうどいい設備投資やサービスの在りようを探っているのかもしれない。

だから、サービスが粗いとか、店によって対応が違うとかの様々な批判も、これを仕掛けている側からすれば、まんまと企みにはまっている人からの意見なのであろう。セブンイレブンはフランチャイズ式なのだから、各店舗で個性が在ることが当然であり、これはこれで正しいサービスの在りようとも言える。むしろ全国一律の行き届いたサービスを期待する方が、便利が当然という麻痺した感覚で世の中を見ているようにも思える。本社とフランチャイズの各店舗との役割分担を考えたら、本社が本来やるべきことをやることに目覚めたのかもしれない。

かつて、セブンイレブンは、賞味期限ギリギリの商品(いわゆる見切り品)を各店舗経営者の判断で値下げできるかどうかで何人かの店長らと本社との間で随分ともめたことがあった。もしこの影響があるとすれば、あるいはこのもめ事を通してコンビニとは何か、フランチャイズと本社との関係式の今後の在り方が関係者の間で考えられたことがあったとしたら、このセブンミールのような商材が考えつくのではないだろうか。

やりようによっては、地域の小売店が地域の買い物弱者のためにやるコミュニティビジネスのようにも運用できる。過疎地では、つぶれてもらっちゃ困るという状況を作り得るだろうし、そうなれば社会貢献と呼ばれることもあるかもしれない。都会では共働きの家庭を応援だったり、地域の顧客との顔の見える関係をつくりやすく、それは新しい他店との差別化になるのだろう。

別にセブンイレブンを礼賛しているのではない。
食材は添加物いっぱい入っていそうだし、デリバリーされる日用品も化学物質や香料まみれのものばかり。環境にはやさしくない。チラシをみてもうちでは注文したいものはなく、これが便利という人はその暮らし方自体を問わないと、いつか体や心のバランスを壊しそうだと思う。

しかし、このチラシやサービスのスマートでない立ち上げ方を見るにつけ、物事の価値や自らの在りようと問い直そうという時代の流れを感じるのだ。

物事のなかに、時代の動きのなかに織り交ぜられている新旧の価値観。
本物と偽物の混在。
例えば便利でやさしい顔の見えるサービスが届ける環境負荷の大きい合成洗剤。

切り捨てられないなかで、私たちは何を紡いでいくのか。
どんなものであれ、活かしどころはあり、知恵が集まれば、智慧も見出される。
たった1枚のチラシからでも社会、そして時代を考えることができる。
目を背けずに知っていく、考え続けていく勇気。それが今問われている。

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わたわた(いしわたかおる)です。料理と野菜を育てることが大好きです。何気ない日常も全てこの地球の表現の1ページ。生命と進化の星、地球を表現すべく、日常の1つ1つに心を込めて「生きる」をやっていきます。

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